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2019〜夏〜

思えば、ボクは夏という季節には無頓着というか、一年で一番熱くなるこの季節をただ惰性でやり過ごしてきたように思う。

人の一生のうち、夏という季節はせいぜい多くても100回ほどしか経験出来ないのだと言うことに気づいた時、ボクは愕然としたことを覚えている。

世間の人たちは夏をどう過ごしているのだろう?なにか特別な思い出を得るために、この数限りある夏を迎え、そして、送るのだろうか?

ボクが今年経験した夏は、去年とは少し違っていたけれど、これまで経験してきた45回の夏の中で一番の夏ということも無く、あまりうれしくないこともあったし、とても楽しいこともあった。

今年の夏に祖母が亡くなった。百歳だった。

ボクが中学生ぐらいまでは、夏休みには祖父母の家に数日泊まりに行き、川で小さな魚を釣ったり、カエルを捕まえたり、山に入って虫を捕まえたり、夜には花火をしたりして、一緒に楽しく過ごした。

祖母と過ごした中で、ボクが強く印象に残っている思い出は、小学校低学年だったボクが、初めて一人でバスに乗り、祖父母の家に遊びに行き、数日過ごしたときのことだ。

たしか、雨が降った日のことだと思う。外でも遊べないし、テレビもあまりおもしろくないし、どうしようもなく暇だったボクは、祖母にわがままを言って、近所の雑品屋、今で言うコンビニのようなお店に連れて行ってもらい、小学○年生だったか、何かの雑誌とおまけ付きのお菓子を買ってもらった。

祖父母が住んでいる街はとても小さい集落で、お店もあまりないので、そのお店の店主は祖母と顔なじみだった。

祖母と店主はボクのことを話している様子で、ボクがもう三日も泊まり込んでいること、今日は雨で家でゴロゴロして暇そうだったこと、ぐずってうるさいので連れてきた、なにか買って与えておけば少しは静になるだろう、あと二日もすれば帰るだろうし、清々するわ。というようなことをボクには聞かれないようにしつつも、あまり声のトーンは下げずに話していた。

それを聞いた当時のボクはとてもショックを受けて落ち込んだ気持ちになったのを覚えている。そのあと、祖父母の家に帰り、お菓子のおまけと小学○年生の付録で元気を取り戻したのだが、その後も、祖母の顔を見るたび、そのことを思い出した。

大人になり、その時の祖母のことを思い出すと、当時感じたショックとは少し違った温かさのようなものも感じるようになった。孫を知り合いに紹介するときのちょっとした気恥ずかしさがあったのかもしれない。照れくささを誤魔化すような、祖母の可愛らしさを思い出し、温かい気持ちになる。

歳を取ってからは、会いに行けばいつも、今なんの仕事をしているの?どこに住んでるの?子どもは幾つになった?とか、1年前と同じことを何度も聞いてきて、時には数分後に聞き直して来たりするので祖母も歳を取ったんだなと感じた。

最近、ふと思い出して、もう二度と会えないんだなと思うと、とても寂しい。生きてるうちにもう少し会いに行く機会を作れればよかったと後悔することもある。

スカイフィッシュの撮影に成功。(アキアカネではないと信じたい。)

寂しいこともあったけど、楽しいこともあった。

今年の夏に実家に帰った際に、中学、高校時代の友人と会う機会が何度かあり、顔もあまり覚えてないぐらい久しぶりに会う友人にも会うことが出来たし、毎年顔を合わせるのだけど、あまり多く話す時間が無かった友人とも、今年は長く話す機会があり、今となっては笑って話すことができるようになったような重めの苦労話なども聞くことが出来た。みんな色々苦労してんだ。

今年はそんな夏だった。来年はどんな夏になるだろう。

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