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創作 日誌

九月の海岸線

9月に入り、晴れた日の空は、空の青さも真夏の頃とは少し変わって、どこか冷たさを感じさせる色調になりました。風にちぎられたように尾を引く雲は、上空の大気の流れの速さを感じさせます。

北海道、道南の日本海側の海岸線は返す波が強く、波打ち際は玉砂利のような直径5ミリから20ミリ、大きいものでは手のひらほどの石が敷き詰められ、太平洋側の遠浅の砂浜とは違った、日本海側特有の風景を見せてくれます。

国道沿いの海岸線は防潮堤と波打ち際の距離が狭く、浜の勾配はきつくなっていて、海中は急激に深くなっていることもあり、海水浴には不向きですが、そこに打ち上げられるシーグラスや大理石、水晶、瑪瑙など、引いては返す波に洗われた石がキラキラと輝きを放っていて、泳がなくとも楽しめる海岸も多い。

そんな海岸線に走る国道は、海に突き出た岬にトンネルを掘ったり、登ったりして、まるで地上を針と糸で縫ったように通っています。

ジグザクに縫われた道を車で走っていると、いつも思うのだけど、ファンタジーに登場する巨人や、SFに登場する巨大なロボットや、ガンダムのモビルワーカーなどがあれば、こんな海岸線の開発も今よりだいぶ楽だろうなあと思うんです。

人のスケールでは地上の勾配や、海中での工事は難航を極めるだろうけど、人の身体よりも何十倍も大きな重機や、様々な地形に対応できる二足歩行、あるいは多脚型の大型ロボットであれば、入り組んだ地形にも橋桁を作って橋を架けたり、トンネルを掘ることも今よりもずっと早くできるんじゃないだろうかと妄想するのです。

そうすれば、今はジグザグの道も、まっすぐに作り直すこともできるだろうし、カーブの少ない道路は運転も楽になり、移動の効率も上がるだろう。そして、移動効率が上がったことによる地方都市への経済効果、ロジスティクス産業への貢献は膨大なものになるだろうし、ぜひ、やらない手はないだろうと思うのだが、人類は、特に日本人はそれをやらないのではないかと思う。

人は不便を解消し、自らが活動する環境を改善していくことで、地球上のあらゆる場所で生活できるようになった。そして、ついには地球を離れ、他の星に移住しようという者まで現れた。これは進化と言っていいのかわからないが、人類は進化するために地球上のあらゆる資源を利用し発展してきた。その過程で地球環境を破壊したり、気候変動などを招いてしまったということもある。

人類の進化が加速すれば、地球環境を崩壊へ導く速度も一層加速する事となるだろう。環境の急な変動により人類は衰退してしまうかもしれない。そう人々は考えていて、ジグザグの道を真っ直ぐにするためのモビルワーカーも開発されないし、それに続くヴァッフ、ブグ、ザクⅠ、ザクⅡの開発の夢も途絶えたのである。

人は進化の過程で社会を形成し、他者とのつながりを意識し、尊ぶようになった。そのため、地球上の他の生き物とは違った感情を持っているように感じる。それは、何かを破壊したり、消滅させてしまうことへの罪悪感、他者、自然、物体、その他様々な現象への畏敬の念なども他の生き物は持っていない感情ではないだろうか。

それらは人類の急激な進化を阻むために形成された、いわば人類を生んだ地球が与えたフェイル・セーフのようなものかもしれない。でも、地球は人類によって環境を破壊され、それによって人類が滅びたとしても、何億年という歳月をかけて、また、元のように生命が生きられる環境になるだろうと思う。

人類が開発を行う前の海岸線はどんな風景だったろう?また、この開発された海岸線は、人類が滅びた後、どのようにして自然に還され、どのような風景を生み出すのだろう。少し見てみたい気もするけども、人類が滅びるということはボクも滅びてるので見られないんだろうなあ。

なんてことを、ドライブしながら妄想したりした、九月の海岸線でした。

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